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三田の水 今昔

シリーズ1洪水と渇水に苦しんだ三田

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平成8年度は三田、丹波地方で、局地的豪雨による家屋の崩壊、床下浸水や土砂被害がありました。

最近は、河川改修やダムの完成により被害は少なくなりましたが、三田は、昔から毎年のように洪水と渇水に悩まされてきた街なのです。洪水のあとは渇水が襲い、渇水のあとは洪水が襲うという、歴史を繰り返してきました。

そこで「三田の水 今昔」では三田の水の歴史を、シリーズでたどっていきたいと思います。第1回目は、昭和36年の豪雨による大洪水について振り返ってみましょう。

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昭和36年6月25日から台風6号の接近と梅雨時期が重なり、断続的に雨が降り続きました。そして、27日には相当数の家屋が床上浸水となったので、市は、県に対して災害救助法を申請しようとしましたが、電話が全部不通となり、連絡の取りようがありませんでした。そして、警察の無線電話によりようやく連絡が取れたのです。

市では、災害対策本部を設置し、情報収集、被害連絡、避難、炊き出し、土のうの運搬、警戒等あらゆる水防活動を行いました。そして、29日には、県から救援物資、毛布や乾パンや、見舞金が届けられたのです。

写真は、その時の武庫川が決壊した様子や水浸しになった駅前の様子です。被害の状況は、床上浸水が419戸、被害総額は当時のお金で1億5千万円にものぼりました。

シリーズ2洪水と渇水に苦しんだ三田

シリーズでお送りする“三田の水今昔”。今回は昭和42年の大渇水についてです。

この年は5月9日からほとんど雨が降らず、5月、6月の月間降水量が過去10年間で最少でした。武庫川の水が干上がってしまい、多くの魚が死にました。そして私たち三田市民の飲み水を確保することさえ困難な状況となり、学校給食は20日間ストップ、田植えも大幅に遅れるなど市民生活に大きな影響を与えました。市では渇水対策本部を設置。1日2時間の時間給水に追い込まれました。まず自衛隊に給水支援を依頼し、連日20日間、給水車10台で1日平均約700トンもの水を給水してもらいました。また、神戸市水道局に対しても給水支援を依頼。その他、近隣市町や企業、各種団体など多くの方から「友情の水」が届きました。このような、温かい救援のおかげで、異常渇水を乗り切ることができたのです。

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この年の9月に青野ダムの建設が発表され、19年の歳月を経て昭和61年に青野ダムが完成。三田の街も大きく発展しました。平成6年度の異常渇水の時に大きな影響もなく乗り切ることができたのも、青野ダムのおかげといえるでしょう。

今、蛇口から水が出るのを当たり前のように思われませんか?しかし、三田市は洪水と渇水を何度も繰り返し水に苦しめられてきた土地柄です。このことをもう一度振り返り若い世代や新しく転入してこられた市民の皆さまにも、知っていただき、一滴の水を「いのちの水」としてとらえ大切にしていきたいと思います。

シリーズ3洪水と渇水に苦しんだ三田

シリーズ3回目の“三田の水今昔”は、昭和53年の渇水を振り返ってみたいと思います。

昭和53年と言えば、青野ダムが完成する10年ほど前のことになります。

この年の7月は、約1ヶ月間雨らしい雨がほとんど降らず武庫川でも大幅に水位が低下し、なんとか必要水量を確保している状態で、8月2日から1日10時間の時間給水に入る地域も出てきました。

このような地域の小学校では、プールが中止になり、このままの状態が続くと8月中プールに入れないまま夏が終わってしまうかもしれないと言った状態でした。ガソリンスタンドの中には断水時間中は洗車を中止、理髪店では「断水中洗髪お断り」の張り紙を出す店も出てきました。今ではちょっとびっくりですね。

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このような中で、8月3日の台風8号の影響で給水制限を解除、水不足も一気に解消かと思われましたが、結局、その後もカラカラ天気の毎日が続き、18日からの2度目の給水制限に続き8月26日には遂にその年3度目の時間給水となりました。かん害による農作物の被害が各地で深刻な問題となり、市内でも稲や野菜が130ヘクタールで枯死という事態にまで及び、戦後最大のかん害になるかもしれないとまで言われたほどでした。

給水制限は、三田市を含め3市4町でも出され市では9月2日に「市渇水対策本部」を設置、9月5日から給水を全面ストップ(午前10時から午後5時まで)することに決めましたが、3日午後からの雨によりなんとか給水全面ストップだけは回避することができました。

シリーズ4洪水と渇水に苦しんだ三田

今回は、「古城浄水場」について(昭和12年11月30日竣成、当時は「三田浄水場」)お話をしたいと思います。そのころはまだ三田市になる前で旧三田町でのお話です。

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古くから三田市は、水に乏しく干ばつで悩まされ、また、その反面大雨等による洪水にも悩まされるということが繰り返されてきました。

上水道が整備されていない当時、上水道の布設は、人々の長年の願いであり日々の生活にはもちろん衛生面からも、防火面からも欠かすことの出来ない事業として早急に進めなければならない課題でした。

そこで、昭和8年7月27日、旧三田町長辻井吉之介氏により上水道調査委員が嘱託され、上水道布設の基礎調査に入り、計画がたてられました。その計画では道場村生野根部谷川を堰止め水源とするものなどでしたが、湧水量が少なく、考究の結果、現在の武庫川(当時の三田川)の伏流水を吸引することに計画を変更し、申請しましたが、残念ながらこの計画では認可を得るに至りませんでした。

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上水道布設という事業は次に就任した三田町長家本幸治氏に引き継がれました。そして、昭和11年7月16日付で水道事業創設認可を得、実質的な水道事業がスタートしました。同年8月武庫川伏流水を水源とすることに計画を一部変更し再び認可申請し、昭和12年1月14日兵庫県知事より工事施行の認可がおりたのでした。そして2月21日には起工式が挙げられ、3月10日より工事に着工し、同年11月30日には第1期工事の竣成(計画給水人口6,000人、計画1日最大給水量800立方メートル)、給水開始となったのです。

現在、最新の技術が導入されている浄水場ですが、当時の緩速ろ過装置〈現在は粒状活性炭ろ過・急速ろ過)は、ろ過砂の入れ替え作業はすべて作業員の手作業でおこなわれ、脱臭装置や計装設備等もないものでした。

 

 

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